セミの命

今年も、神社のケヤキにはたくさんのセミが成虫となって、元気に鳴いています。もう間もなく、セミの声も聞こえてこない季節へと移行していきそうです。

子ども達も、セミの抜け殻探しに、セミ採りと、多くの刺激を受けて心を弾ませています。

セミは成虫になって、2週間から4週間ほど生きられるといわれています。
それに対して、幼虫である時代が、短いもので1年間、長い個体だと10年間も幼虫期を土の中で過ごすそうです。

先日、年長のS君、J君とセミを探しに行きました。
地面にいる(弱っている)セミを見つけたので、さっそくつかまえるのかと思って見ていると、近づくたびにセミが「じ、じ、じ、じ、じ」と鳴くので、二人ともたじろいで「うわっ!びっくりした!せみ、さわれないんだよね、、、。」と呟きます。

結局、触れなくてはつかまえられないので、困ってトボトボ歩いていると、抜け殻から脱皮している途中で命がつきそうになっているセミに出会いました。前足は少し動いていますが、身体はすでに変色がはじまり乾燥してきているので、大人から見たら脱皮しても飛ぶことはできないだろうなというのがわかります。

年長のS君とJ君は、「どうやったら、だっぴ できるかな?」と二人で考え合います。
「から、ぬがして あげたら いいんじゃない?」
「あ!ありが あつまってきている」
「とりあえず へやに つれていこう」

セミを怖がっていたはずなのに、弱っているから、不意な動きをしないこともあり、なんだかとても愛おしそうにセミを持つS君にJ君。こうして、脱皮中に命がつきそうになっているセミを保護していました。

そして、次の日、二人にあったので「セミ、どうだった?」と私が聞くと、「だめだったー。しんじゃったよ」と教えてくれました。そして、「おはかを つくる」と外に運んでいました。

まったく違う時ですが、こんな場面にも出会いました。
外で、セミの身体はアリに食べられて、顔と羽だけになって地面に落ちたセミが、羽だけを動かしていました。
私「体はないんだけど、動いているね。死んでる?生きている?」
子「えー。からだがないし ありに たべられてるから しんでるよ」
子「でも、うごいているから いきているんじゃない?」
私「助けたら、元気になるかな?」
子「いちど からだが なくなったら なおらないでしょ」
私「そうなんだね。可哀そうだね」
子「かわいそうだねー」

生きている、とか、死んでいるとかそうした概念もまだ曖昧な子どもたち。時には残酷なほど、生き物の命を奪ったかと思うと、時には、愛おしそうに、一つの命を慈しむ様子があります。こうした様々な経験を通して命について考えるキッカケを与えてくれているように思います。

余談ですが、「セミは1週間しか生きられないから、大切にしてあげようね」と昔から言われ、私自身も子ども達に伝えることがあります。
最近、ふと、「なんで数年間も地面で暮らしていたのに、成虫になろうとするのだろう?」と考えたりします。
地下で生涯を終えればいいのに。地上は外敵も多いし、脱皮の途中で命が尽きるリスクもあるというのに・・・

一つは、「セミにとって幼虫期は成虫になるための準備期間なのか?」ということです。セミの幼虫である時期こそ、セミの人生そのものなのではないかと思うのです。だから、地下の生活の中で、幼虫が豊かに暮らしているかどうかが気になるのです。私は、裏山に穴を掘るのが好きで、穴を掘っていると、時々セミの幼虫を掘り起こしてしまうことがあります。すると、とても申し訳ないことをしたようで、「ごめん、ごめん」と言って、土に戻します。

そして、長い長い土の生活を経て、成虫になることができたセミは、いよいよ人生最後の大冒険。外敵に襲われる可能性の方が多い中、勇敢に地上に出てきます。それも、硬い硬い地面であっても、それを掘り起こして地上に出てくるのです。そして、外敵(子ども含む)にあえて見つかるような大声で鳴いて、生涯を終える。そんな人生の有終の美を見ると、何とも言えない哀愁と尊敬の念を抱いてしまいます。

神社で幼虫が出てきた穴

子ども達に負けず、セミの命におもいを馳せる時間を私自身も持っていきたいなと思います。