努力をするという事

年長組の運動会の直前となりました。
園庭ではリレー、ホールでは跳び箱などのサーキットを、遊びの時間にも黙々と取り組む子どもたちです。

私は今日の午前中、ホールにて跳び箱の練習をする子どもたちのお手伝いをして過ごしました。
9時ころから数名のにじ組の子どもたちがやってきました。練習に来た子どもたちは、まだ跳び箱が跳べずにいる子どもたちでした。なかなか跳べず、跳ぼうとしても足が開かなかったり、どうしてもお尻がついてしまったり・・・。

うまくいかなくても、何度も何度も挑戦する子どもたち。なんで、そんなに頑張れるのだろう・・・。そう思ってしまう程、何度も何度も繰り返します。(合計、50回以上は跳んでいたのでは・・・)
その度に少しずつコツをつかんで上達が見られるから”子どもってすごいなぁ”と、心から尊敬の眼差しで見てしまいます。

そして、9時ころから練習を始めた子どもたちは、10時過ぎまで練習を繰り返しており、10時ころには保育者の手伝いがなくても1人で跳び箱を跳べるまでに上達していました。

黙々と跳び箱に向かうKちゃん。失敗しても、何度も何度も繰り返し挑戦しています。
そのKちゃんが、手伝いなしで跳び越えた時、近くにいた保育者はついつい大声をあげ、そして眼に涙を浮かべます。(この時期、ちょっと涙腺がゆるいです)
Kちゃん、その場で大声をあげて喜ぶことはしませんが、確かな自信になっているような、そんな良い表情をしていました。

「跳び箱が上手だ」とか「何段が跳べる」とか、そういうことは目に見えやすいかもしれません。しかし、私たちが大切にしたい、運動会を通して育てたい子どもの姿というのは「何ができるようになったか」よりも「そこにどのように向かったか」なのだと考えています。跳び箱の取り組みを通して、Kちゃんの心身にどのような動きがあったのだろう。そんなことを考えると、「本当に大切なことは目に見えない」(サンテグ・ジュペリ『星の王子さま』より)という事を改めてKちゃんの姿から感じさせられたのでした。

そして、仲間同士の刺激も、感動的です。
私が年長の担任をしていた時に、体操の先生から教えていただいた印象的な言葉に「頑張る気持ち。あとはコツ!」という言葉があります。跳び箱って、コツをつかんでしまうと確かに突然うまくなってしまうのですよね。
そのコツをつかむ大きなきっかけとして「仲間の存在」が有機的に作用しているように感じます。
仲間の良い所をよく観察して、自分の動きに取り入れてみる。
保育者が促さなくても「〇〇ちゃん、ジャンプが上手!」「足がきれい!」「〇段跳べてる!」と仲間の良さに感嘆する言葉が子どもたちからも自然と発せられます。認めてもらった子は、また一段と上手に跳んでみようとします。ちょっと難しいことにも挑戦しようとします。仲間の良さを認め、そして、自分にも活かす。そんな姿に”年長らしさ”を感じるのでした。

「Sちゃんのジャンプのときの音がすごい!」
身体をバネのようにして跳び越えます